データ
- 名称
- 牛伏寺 観音堂
- 指定等区分
- 市重要文化財
- 指定年月日
- 昭和44年7月3日
- 種別
- 建造物
- 所在地
- 内田2573
- 所有者
- 牛伏寺
- 時代区分
- 江戸時代
- 付加事項
所属カテゴリ
- テーマ
- 松本城とその時代
- 地域
- 松本東部
- 分野
- 建造物
地図
解説
折り唱える真言のみ堂
慶長17年(1612)3月6日の大火により、牛伏寺(ごふくじ)の堂舎僧坊はことごとく炎上し、灰燼と帰しました。この大火から10年後の元和8年(1622)、観音堂釈迦堂が再建されましたが、このときは暫定的な仮堂に近いものであったようです。再建が本格的に着工してから4年がかりで正徳2年(1712)に棟上げがおこなわれました。当時村々の檀家から柱材の寄進を求めたり、島立組堀米から大量の榑木(くれき 屋根葺材)を運搬した記録などから建築の大工事の模様をうかがうことができます。
現在の観音堂は、柱間が正面六間、側面四間の入母屋(いりもや)造銅板葺。正面に唐様(からよう)の向拝(こうはい)をつけ、四面に勾欄(こうらん)つきの縁をめぐらしています。内部は格子戸を設けて外陣と内陣とに分けていますが、内陣にはさらに両脇陣が設けてあり、また明治初年には内陣を後方に拡張しているので、平面は凸形になっています。これは他の堂宇の諸仏をこの一堂に安置するための造作であったようです。この後も屋根の葺替えや修理が加えられてきました。
松本平では、松本領内の寺院が明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって多くの廃寺があったりして、江戸時代前期の建造物が非常に少ない中に、当観音堂は密教寺院の特徴を持った堂として、また規模の大きな観音堂として存在価値が大きい建造物です。


