データ
- 名称
- 阿弥陀三尊像(西善寺)
- 指定等区分
- 市重要文化財
- 指定年月日
- 昭和36年1月24日
- 種別
- 彫刻
- 所在地
- 和田境1317
- 所有者
- 西善寺
- 時代区分
- 鎌倉時代
- 付加事項
所属カテゴリ
- テーマ
- 松本城ができるまで
- 地域
- 松本西部
- 分野
- 彫刻
地図
解説
廃仏毀釈をくぐりぬけた善光寺様
和田境にある西善寺は、もと天台律宗淨発願寺(開山・彈誓(たんせい)上人。中興四世空誉上人。東叡山寛永寺凌雲院末)の末寺でしたが、天和3年(1683)に中興された寺歴以外の、開基、年歴などは不明です。現在は庫裏(くり)と一体の本堂が残っています。松本清水の念来寺(淨発願寺末。開山・彈誓三世長音上人)が明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となった際、天領の地の同宗同派の西善寺に仏像や貴重な什物(じゅうもつ)の数々が移されて、今に伝えられています。この廃仏の前夜、仏像を荷車で運び出した人々は西善寺の本堂に安置しようとしましたが、あまりにも大きすぎて、泣く泣く光背を切り落として安置したというエピソードは有名です。
本三尊像はもと筑摩神社別当寺(神社に付属しておかれた寺院のこと)の安養寺に安置された仏像でしたが、同寺が戦火により廃絶したあと、江戸時代になって清水の念来寺に移され、さらに廃仏毀釈のとき西善寺に移されたものといわれます。以後毎年1月7日の七草の日の開帳以外は秘仏とされており、阿弥陀如来坐像及び両脇侍(きょうじ)立像(市重要文化財指定)の向かって右脇壇上の厨子の中に安置されています。
この三尊像は、長野市善光寺の本尊である金銅製阿弥陀如来・両脇侍立像の形式にならって作られた、いわゆる善光寺式阿弥陀三尊像(善光寺如来)の一つです。善光寺信仰は、平安時代末から鎌倉時代にかけて全国に広まりました。それにつれて善光寺式阿弥陀三尊像も多数作られ、各地に現存しています。中尊に阿弥陀仏、左右に観世音菩薩と勢至菩薩(せいしぼさつ)像を従え、その後ろに一つの光背がつけられる形式(一光三尊式)をとることが特徴で、そのほかにもいくつかの形式上のきまりがあります。
西善寺の三尊像は、一光三尊式をとるほか、仏像の姿なども善光寺式阿弥陀三尊像に通有のものです。中尊は像高49.2㎝、両脇侍はともに35.4㎝を計ります。三尊とも火を受けており、中尊は顔面から衲衣(のうえ)にかけて、また右脇侍は宝冠から顔面にかけて損傷が著しいです。中尊の両手は後世の補修によるものです。また、台座と光背は後世に補われたものです。
中尊、脇侍像とも切れ長の目や小ぶりの鼻、唇を浅く刻む顔立ちを見せ、着衣の袖口や天衣の衣摺(きずり)などはかなり形式的に整えられています。こうした作風から、本三尊像は鎌倉時代末頃の14世紀前半の作と思われます。


