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市指定等文化財

正念寺の阿弥陀如来半跏像及両脇侍立像

しょうねんじの  もくぞうあみだにょらいはんかぞう  および  りょうきょうじりゅうぞう

  • 正念寺の木造阿弥陀如来半跏像及両脇侍立像
  • 正念寺の阿弥陀如来半跏像及両脇侍立像
  • 胎内銘(表面)
  • 胎内銘(裏面)
  • 現在の正念寺境内

データ

名称
正念寺の阿弥陀如来半跏像及両脇侍立像
指定等区分
市重要文化財
指定年月日
昭和55年3月18日
種別
彫刻
所在地
寿中1-28-7
所有者
正念寺
時代区分
江戸時代
付加事項
  

所属カテゴリ

テーマ
松本城とその時代
地域
松本東部
分野
彫刻

地図

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解説

来迎信仰の卓越性を示す雲乗の姿

  正念寺(しょうねんじ)は、松本地方では数少ない天台宗淨発願寺末の寺院で、開基は彈誓(たんせい)上人(1551~1613)です。慶長9年(1604)、彈誓上人は佐渡の檀特山で悟りをひらき、信州善光寺に参って虫倉山にこもった後、大町、松川を経て諏訪に向かう途中に立ち寄ったのが、この正念寺でした。この堂に掛錫(かしゃく)した上人は常念仏を始めたといいます。『彈誓上人絵詞伝』(古知谷阿弥陀寺本・1767年)には「飯田の阿弥陀寺、大町の彈誓寺、松本の念来寺、百瀬の昌念寺、雲照院も上人を以て開基とし念仏不退の道場なり」とあります。
  その頃、正念寺は筑摩郡百瀬邑(村)の常照庵と称されていたことが、松本市の寿小池地区に存在する古文書に記述されています。また、現在の本堂は、棟札に残る墨書により享保9年(1724)の建築であることがわかります。

  本尊の阿弥陀如来半跏像は総高163cm、坐高105cm、檜(ひのき)材・寄木造・玉眼嵌入。やや丸顔で頬に張りのある優作で、阿弥陀如来には珍しい半跏の姿と、立像に多くみられる雲付蓮台に坐していることが特徴です。力強く安定感のある造型は、一見、鎌倉時代風ですが、正面に大型の雲をおき、踏み下げの左足先に対して右膝下の雲は、入道雲のように像全体の動勢を盛りあげています。雲乗来迎(らいごう)の姿は、両脇侍(きょうじ)の来迎姿勢とともに、この一派に来迎信仰が卓越していたことを思わせます。
  また、胎内銘(16cm×22cmの木札)により、制作年は本堂の建築年と同じ享保9年4月、制作者は彈誓六世念来寺八世の相阿(生年不詳~1735)、願主は正念寺六世の住阿(生年不詳~1748)であることが判明しました。胎内銘は表側に「阿弥陀如来根本陀羅尼(だらに)」が、裏側に「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼」が梵字(ぼんじ)でびっしり墨書され、末尾に相阿の師・念来寺六世明阿(みょうあ)を指す「中興明阿上人」と記されています。

  両脇侍立像の観音菩薩像は像高60.2㎝、勢至(せいし)菩薩像は像高60.6cm、いずれも寄木造で、観音菩薩は両手を前に下げて蓮台を持ち、勢至菩薩は合掌しています。

  明治初年の廃仏毀釈の際は、この地が諏訪藩領であったため、堂や仏像は破却の難を逃れました。木食(もくじき)僧の寺で檀家はありませんでしたが、仏像をはじめとする多くの寺宝は、百瀬地区の人々に守られ今日に至っています。

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