データ
- 名称
- 紙本著色釈迦涅槃図(西善寺)
- 指定等区分
- 市重要文化財
- 指定年月日
- 平成7年4月28日
- 種別
- 絵画
- 所在地
- 和田境1317
- 所有者
- 西善寺
- 時代区分
- 江戸時代
- 付加事項
所属カテゴリ
- テーマ
- 松本城とその時代
- 地域
- 松本西部
- 分野
- 絵画・工芸品
地図
解説
民間信仰史上最大級の紙幅を誇る
釈迦涅槃図(しゃかねはんず)は釈迦入滅(にゅうめつ)の際、仏弟子や動物たちが集まり、慟哭(どうこく)する情景を描いたもので、各地の寺院では毎年2月15日の涅槃会(ねはんえ)に奉懸されました。この涅槃図は、西善寺の他の什物(じゅうもつ)と同じく廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際、念来(ねんらい)寺から移されたものです。
この涅槃図の画軸は縦約4.7m、横約5.4mの紙幅を誇り、現存する涅槃図の中では、民間信仰史上最大級の作品に属する一幅といわれます。画面からはスケールの大きさ、強烈な迫力が感じられますが、拡大化による構図や描写の破綻もなく、多数の人物を生き生きと表情豊かにとらえた筆技は見逃し難いです。
画中には「狩野中務卿法印養朴門人笹田常住謹圖之」の落款(署名)が、裏面には墨書銘があります。この墨書銘は、享保14年(1729)、融通念仏の勧化によって十方の信男信女、つまりあらゆる階層の男女の喜捨を受け、城主戸田光滋の支援のもとにお抱え絵師の協力を得て仕上げたことを示しています。
本図の作者、笹田常住は狩野養朴すなわち常信(1636~1713)の門人です。桃山時代の画壇を支配した狩野派は、江戸時代初めに探幽が京都から江戸へ出て幕府の御用絵師となり、その一派は江戸狩野とよばれ、空前の大画閥を形成して幕府関係の重要な画事のほとんどを委ねられました。地方の諸藩にも一派の画家を御用絵師として送り込みました。
常信は探幽の甥で、奥絵師の一つ、木挽町狩野家を守るとともに、探幽亡きあとの江戸狩野の中心人物として活躍しました。常住については『酉年切米帳』の「近習」の項に、「笹田養徳の父、笹田養跡常住」
と載る者に該当し、また『松本六万石史料』に「絵師四十石十二人扶持 笹田養跡 十五石三人扶持 笹田養徳」とあるので、父子で絵師を務めていたことがわかります。常住は若い頃江戸で常信の門に学び、のち松本藩の絵師として活躍したのでしょう。この「釈迦涅槃図」は、廃仏毀釈の嵐をくぐり抜け、当時(江戸前期)の地方絵師の動向を伝えている点においても重要な存在です。
融通念仏とは、平安末期の声名の大家、天台僧の良忍上人(1073~1132)が、民衆主体の多数作善の思想から生み出した宗派を超えた念仏で、一人の念仏は、全ての生者死者、神とも融通しあい功徳は相乗されて他と我に還ることを説いた民俗的念仏です。
西善寺では、毎年春分の日を中心にした数日間、檀家一同が力を合わせこの涅槃図を掲げ「やしょうま」を供えて祈ると共に一般公開をおこないます。


