データ
- 名称
- 寛永通宝松本銭と鋳造の許状
- 指定等区分
- 市重要文化財
- 指定年月日
- 平成7年4月28日
- 種別
- 歴史資料
- 所在地
- 丸の内4-1
- 所有者
- 松本市(松本市立博物館)
- 時代区分
- 江戸時代
- 付加事項
所属カテゴリ
- テーマ
- 松本城とその時代
- 地域
- 松本城下町周辺
- 分野
- 古文書・書跡・典籍
地図
解説
天守の修復とともに松平直政の事績を象徴
平成3年(1991)に、松本市が松本の町役人を代々勤めた今井家から寄附をうけた資料です。
寛永13年(1636)、徳川幕府は江戸の芝と近江(現在の滋賀県)坂本の2か所で寛永通宝を鋳造し、それまで流通していた永楽銭を廃止しました。翌14年には新銭を全国各地に流通させるため、水戸・仙台・吉田・松本・高田・萩・岡山・竹田の8か所に鋳造所が設けられました。当時、7万石という、小藩であった松本に銭座が置かれた理由は、時の城主松平直政が徳川将軍家と親戚関係にあったことや直政自身が強く要請したことなどが考えられます。
鋳銭の請元を勤めたのは今井家で、同家には当時の鋳型の棹がついたままの枝銭と許状が代々伝えられてきました。この物件がこれにあたります。
許状は、寛永13年12月27日、松本藩の奉行人7名の連署で今井勘右衛門あてに書かれています。内容は、新銭の鋳造を許可するので間違いなく用意して鋳造するように、また、今後は他の者が願い出ても許可しないという旨が記されています。
松平直政の治世はわずか6年で、直政の事績を示す具体的な資料は少ないです。そのなかで、これらは直政の事績を物語る資料であり、当時松本のような小藩では画期的なことであった鋳銭を裏づける貴重な資料といえます。


