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市指定等文化財

松本城下絵図

まつもとじょうかえず

  • 松本城下絵図
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データ

名称
松本城下絵図
指定等区分
市重要文化財
指定年月日
平成7年4月28日
種別
歴史資料
所在地
丸の内4-1  松本城管理事務所
所有者
松本市
時代区分
江戸時代
付加事項
  

所属カテゴリ

テーマ
松本城とその時代
地域
松本城下町周辺
分野
古文書・書跡・典籍

地図

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解説

松本城下町の基本図

★精度の高い詳細な城下絵図★
  この絵図は、松本市埋橋1丁目の小笠原治孝氏(地蔵院)が松本市に寄附されたものです。この絵図は、享保11年(1726)に入封した戸田氏が治世の出発にあたって、家臣団の実態の掌握と城下町の支配に供するために製作したものと考えられます。それ以来松本藩城下の基本図として位置づけられてきました。
  享保13年(1728)製作の紙本著色の絵図で、大きさは横409.8cm、縦225.3㎝を測ります。松本城の城郭を中心に、城下町全域が極めて詳細に描かれています。縮尺は「六尺壱分ノ割」(600分の1)で、一辺50間の方眼罫があり、かなり精度が高く、縮尺をそろえれば現在の松本市都市計画図ともよく符合します。

★絵図から読み取る松本城下町の構造★
  この絵図は、松本城下町について、様々な情報を提供してくれます。絵図には「安原一里塚より馬喰町木戸迄通町筋二十七町余」とあり、松本城下町が町割をした当初の姿が描かれていることがわかります。この「二十七町余」は、北から安原町、和泉町、東町、中町、本町と続き、城郭を避けて計画された北国西脇往還(善光寺道)を基軸にして、町屋の町割がおこなわれたことが読み取れます。町名も町屋については、享保頃にはすでに親町、枝町、小路が完成していたことがわかります。
  城下町の中は、武士、町人、職人、寺社の配置など、身分によって居住地が決められています。武士の場合でも、屋敷割の広狭、道路の幅の違い、禄高による居住地の違いなどがあります。城下町は、身分を平面に固定した町であるともいえます。
  武士の居住地に着目すると、三の丸以内を上級家臣で固め、実質的な戦闘集団である御徒士(おかち)、足軽は城郭の背後に居住させています。武士集団を組分けし、機能的な戦闘集団として配しており、同一身分のものが同一の武器を持って集団を組んで出動できる臨戦態勢が敷かれています。また道路には、鈎(かぎ)の手、食い違い、袋小路、三叉路など、前方遮断や敵の侵入を攪乱(かくらん)するための様々な防御施設が工夫されています。城郭部分は堀、土塁石垣、櫓(やぐら)、河川などによって防備を固めています。このように、松本城下町が軍事都市として造られたことも読み取れます。
  このように松本城下絵図は、城下町の構造などの考察を進める上で欠くことのできない極めて重要な史料です。

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