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市指定等文化財

戸田家廟園

とだけびょうえん

  • 丹波塚
  • 丹波塚
  • 光行と光年の墓
  • 外域から内域をのぞむ
  • 戸田丹波守康長夫妻肖像画

データ

名称
戸田家廟園
指定等区分
市特別史跡
指定年月日
昭和36年1月24日
種別
遺跡
所在地
県2-3-5
所有者
松本市
時代区分
江戸時代
付加事項
  

所属カテゴリ

テーマ
松本城とその時代
地域
松本城下町周辺
分野
史跡

地図

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解説

藩祖丹波守康長公ここに眠る

★「お塚」とよばれ親しまれる★
  県ヶ丘高校のすぐ北、四ツ谷東にある戸田家の廟所(びょうしょ)は親しみをこめて「お塚」とよばれていました。昭和30年(1955)、当時の戸田家当主康英氏からこの廟所が松本市に寄附されたのを機会に、戸田家廟園と改められました。現在でもお塚というと、この場所がわかるという人は多いです。
  この廟園は石垣によって囲まれ、その中が東西の二区画に分かれています。前面(西側)が外域、後方(東側)が内域となっています。内域の南側に石垣をめぐらし封土のある丹波塚があり、その墳上に大きな石造五輪塔があります。五輪塔の地輪に「祥雲院殿一運宗智大居士」と彫られ、前面に石の香鉢が供えられています。これが松本戸田家の祖、戸田丹波守康長の墓です。この丹波塚の北には光行(後の6代)や光年(みつつら  後の7代)の墓、光領(みつむね  後の8代光庸(みつつね)の弟)やその室の墓、そのほか関係者の碑などがあります。光行の碑には「瑞光院殿祥巌道麟大居士」、光年の碑には「神龍院殿大光啓雲大居士」と彫られています。
  戸田家は、元和3年(1617)から寛永10年(1633)まで、享保11年(1726)から明治3年(1870)までと2度にわたって城主でしたが、城主で実際にこの廟園に葬られているのは、初代康長、後の6代光行、後の7代光年のわずか3人だけです。

★墓守寺・前山寺の長屋門が残る★
  廟園の南側には、安政2年(1855)に最後の城主9代光則(みつひさ)によって廟所の寺としてここに移された前山寺(ぜんざんじ)の長屋門が残っています。戸田氏の松本における菩提寺(ぼだいじ)は全久院で、先の戸田氏の時は中町に、後の戸田氏の時は本町の水野氏の菩提寺の春了寺跡に置かれましたが、この廟所には、その当時には寺はありませんでした。前山寺は明治初年の廃仏毀釈の際、菩提寺の全久院とともに廃されました。しかし、廟域内には前山寺の歴代住職などの墓碑があり、廟域の西道を隔てて旧松本藩士の墓碑が多く残っています。

★地域で大切に守られる★
  この廟園は閑静な住宅地の一角にあり、名称は変わっても地域のみなさんによって親しまれています。毎年、地区の中学生とPTAのみなさんによって、草取りなどの奉仕活動などが行われています。また、隣接して児童遊園があり、格好の憩いの場となっています。
  この廟園は、先に述べたように戸田家から本市に寄附された経過があり、その環境、碑石なども含めて保存されています。江戸時代の大名家の墓制を知るものとして価値の高いものです。

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