1. ホーム >
  2. 市指定等文化財 >
  3. 市特別史跡 >
  4. 了智上人の墓

市指定等文化財

了智上人の墓

りょうちしょうにんのはか

  • 了智上人の墓
  • 了智上人の墓

データ

名称
了智上人の墓
指定等区分
市特別史跡
指定年月日
昭和42年2月1日
種別
遺跡
所在地
島立4900    (薬師堂境内墓地)
所有者
個人
時代区分
鎌倉時代
付加事項
  

所属カテゴリ

テーマ
松本城ができるまで
地域
松本西部
分野
史跡

地図

クリックして詳細地図を開く

解説

弥陀の名号唱えつつ詣る

  了智上人(りょうちしょうにん)は、俗名を佐々木四郎高綱という近江(現在の滋賀県)出身の武士であったとされます。  佐々木高綱は、源頼朝に仕えて軍功があり、ことに寿永3年(1184)木曽義仲追討の宇治川の戦いのとき、梶原景季と功を競って先陣の名乗りを上げたことで知られます(平家物語・源平盛衰記・吾妻鏡等)。鎌倉幕府成立後出家し、親鸞(しんらん)上人の門に入り各地を修業、当地において浄土真宗正行寺を開創したと伝えられ、現在地に墓地があります。

  墓地は江戸時代に改修され、墓石を中心に松・栗・柏(かしわ)・菩提樹(ぼだいじゅ)が植えられ、献納の石燈籠が建てられ、整然としています。墓石は、台石の高さ0.4m、横1.78m、碑高2.05mの自然石で、次のような銘文があります。

(表)釈了智上人
(裏)佐々木四良高綱
          承久三年辛巳十月廿五日

  この墓石は、江戸時代中期以後の建立とみられ、碑銘にある鎌倉時代のものではありません。また、墓前の柵内の石燈籠には享保3年(1718)の銘文があります。柵外には佐々木四郎高綱の末孫であるとの伝承をもつ、陸軍大将乃木希典の寄進による石燈篭一対があります。
  正行寺に残る了智上人筆の『了智定書』の奥書には鎌倉時代末の応長元年(1311)筆とあります。このことから、鎌倉時代初期の佐々木高綱と了智上人とは別人ではないかともいわれています。またこの地に正行寺を建立した際の経緯など、はっきりとした資料的な裏付けを欠くものも多いです。しかし、江戸時代から続くこの地域の伝承を今に伝えている点で重要な史跡といえるでしょう。

ページの先頭へ