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市指定等文化財

徳雲寺跡

とくうんじあと

  • 徳雲寺跡遠景
  • 徳雲寺跡遠景

データ

名称
徳雲寺跡
指定等区分
市特別史跡
指定年月日
昭和42年2月1日
種別
遺跡
所在地
入山辺4526
所有者
徳運寺
時代区分
室町時代
付加事項
  

所属カテゴリ

テーマ
松本城ができるまで
地域
松本東部
分野
史跡

地図

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解説

傑僧雪村友梅を偲ぶ

徳雲寺から徳運寺へ
  徳雲寺は、元弘元年(1331)に山家郷(やまべごう)の地頭である山家為頼(やまべためより)が開創し雪村友梅(せっそんゆうばい)の開山と伝えられます。雪村友梅は、この時、師である一山一寧(いっさんいちねい)が開山した諏訪郡の慈雲寺に住持していましたが、山家氏の招きに応じ徳雲寺を開きました。徳雲寺は、その後衰えましたが、永正年間(1504~1521)に折野氏が中興しました。天正10年(1582)武田氏とともに折野氏が滅ぶと寺は廃絶しました。文禄年間(1592~1596)に現在地に移って再興、また嘉永4年(1851)に焼失、安政元年(1854)に再建されました。現在は徳運寺と改まり、また開山は臨済宗でしたが現在は曹洞宗となりました。本尊の十一面観音は、毎年1月の厄除け参りには、大勢の人でにぎわいます。

開山の師  雪村友梅
  雪村友梅の父は越後(現在の新潟県)の人、母は北信濃の豪族須田氏といわれています。
  幼くして鎌倉の建長寺で中国からの渡来僧である一山一寧に学び、18歳のとき中国(元)にわたりました。この頃は、日元関係が悪化していて、日本人であるため処刑されようとしました。この時、とっさに仏光禅師の「臨剣頌」(りんけんのじゅ)を唱えて許されました。のちに元の朝廷から宝覚真空禅師(ほうかくしんくうぜんじ)の号を賜りました。
  元徳元年(1329)頃、40歳で帰国し、慈雲寺二世住職、徳雲寺の開山、その後京都西禅寺の住職、九州萬寿寺の開山、兵庫法雲寺の住職等を歴任し、正平元年12月(1347年1月)に死去、57歳でした。

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