松本の歴史
奈良~平安時代
奈良・平安時代は、天皇を中心とした朝廷による律令制が行われ、松本市内の集落も信濃国筑摩郡・安曇郡(梓川より北の地域)として、この律令制に組み込まれました。
信濃国の国府は、はじめは現在の上田に置かれていましたが、8世紀末~9世紀前半に、松本に移されています。ただ、国府がどこにおかれたのかはまだわかっていません。いろいろな説があり、惣社、大村、筑摩などが候補地とされていますが、今後の発掘調査の成果が期待されます。
また、筑摩郡内には、馬を飼育するための牧場である牧(まき)として、埴原牧(はいばらのまき)と大野牧(おおのまき)がおかれ、このうち埴原牧は中山地区にあったとされており、県史跡に指定されています。
律令制の中で、農地を広げるための開墾(かいこん)が奨励されました。市内ではとくに奈良井川より西側の地域の開発がさかんに行われ、大規模な集落が形成されました。後に土地の私有が認められるようになると、地元の有力者は中央の貴族や寺社と結びついて開墾を進めるようになります。こうして開発された土地は荘園とよばれ、中央の貴族や寺社の所有地となりますが、荘園の実際の経営は地元の有力者が行っていました。このような奈良・平安時代に開発された大規模な集落として、市重要文化財の銅鋺(どうわん)が出土した南栗遺跡(島立)、同じく奈良三彩の小壷が出土した下神遺跡(神林)、銅印の出土した三間沢川左岸遺跡(神林)などがあげられます。しかし、こうした大規模な集落の多くは、10世紀前半にはいっせいに消滅してしまい、その後は数軒の住居が間隔をおいて分散するようになります。はっきりとしませんが、乱開発や洪水などの自然災害が原因とされています。
平安時代には、建立の年代ははっきりとしませんが、市内にも寺院が建立され、牛伏寺の十一面観音を始めとした仏像群、放光寺の十一面観音、旧海岸寺の千手観音といった仏像彫刻はこの時期のもので、国・県・市の文化財に指定されています。