国指定等文化財
木造十一面観音及両脇侍立像(牛伏寺)
もくぞうじゅういちめんかんのんおよびりょうきょうじりつぞう(ごふくじ)
データ
- 名称
- 木造十一面観音及両脇侍立像(牛伏寺)
- 指定等区分
- 国重要文化財
- 指定年月日
- 大正3年8月25日
- 種別
- 彫刻
- 所在地
- 内田2573
- 所有者
- 牛伏寺
- 時代区分
- 平安時代
- 付加事項
所属カテゴリ
- 分類
- 重要文化財
- テーマ
- 松本城ができるまで
- 地域
- 松本東部
- 分野
- 彫刻
地図
解説
法灯一千余年、牛伏寺厄除観音菩薩
牛伏寺(ごふくじ)はもと鉢伏(はちぶせ)山の中腹にあり普賢院とよばれていたといわれます。鉢伏山の山岳信仰から山頂に鉢伏権現を祀り、その里寺的性格があったようです。
天平勝宝7年(755)、善光寺へ大般若経を奉納する途中、経典を積んでいた赤と黒の2頭の牛が倒れて動かなくなったため、2頭の牛を祭ったという伝説から、「牛伏寺」の名がついたといわれます。
牛伏寺の山号は金峯山(きんぽうさん)といいますが、山岳信仰のあった奈良県吉野地方の金峯山に由来するもので、山岳信仰と仏教(真言密教)とが習合した牛伏寺の成り立ちを物語っています。平安時代半ば以降、埴原(はいばら)牧や北内牧を管理した豪族の信仰を中心に牛伏寺が営まれ、山頂から山麓間での広大な寺の各所に仏堂を置いて仏像を配していました。寺の位置ももとは鉢伏山中腹の蓬堂(よもぎどう)にありましたが、その後建保2年(1214)から天文3年(1534)まで堂平にあり、その後現在の地に移ったとされます。ただ蓬堂・堂平ともにその位置はわかっていません。
慶長17年(1612)の大火で寺堂は全焼しましたが、再建され現在に至っています。諏訪の高島藩の所領であったため、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難も逃れました。厄除観音として知られるこの十一面観音像をはじめ、現在も多くの人々の信仰を集めています。
木造十一面観音像は、観音堂内陣の宮殿(くうでん 厨子(ずし))に秘仏として安置され、御開帳は33年に1度とされています。脇侍(きょうじ)の不動明王像・毘沙門天(びしゃもんてん)像は宮殿の両脇に安置されています。
木造十一面観音像は、像高152㎝、檜(ひのき)材の一木割矧(いちぼくわりはぎ)造で彩色があります。円みのあるなで肩の曲線、衣文の作風など、平安時代末の特徴が見られます。一方で、この時期の仏像の典型的なものに比べると、幅広い面相や、独特な森厳さがあり、密教的な趣がある点に特徴があります。
脇侍不動明王像は、像高98㎝、檜材の寄木造、彩色があります。一木造の岩座上に立っています。右手に剣を取り、左手に索(さく)を持っています。光背は火焔光背。脇侍毘沙門天像は像高76㎝、檜材の寄木造、彩色があります。岩座を台座として右足を踏み出した形に立っています。唐様(からよう)の甲冑(かっちゅう)をつけています。光背は輪光です。不動明王像、毘沙門天像ともに動きの少ない素朴な像です。十一面観音像とは同作ではありませんが、平安時代後期の作です。






