データ
- 名称
- 銅鐘
- 指定等区分
- 国重要美術品
- 指定年月日
- 昭和19年7月16日
- 種別
- 工芸品
- 所在地
- 女鳥羽2-4-42
- 所有者
- 長称寺
- 時代区分
- 江戸時代
- 付加事項
所属カテゴリ
- テーマ
- 重要美術品
- テーマ
- 松本城とその時代
- 地域
- 松本城下町周辺
- 分野
- 絵画・工芸品
地図
解説
江戸時代の銅鐘では市内で唯一残る
長称寺は浄土真宗の本願寺の末寺で、木曽山義仲院(ぎちゅういん)長称寺といいます。開山は義延房念信と伝えられています。念信は俗名を木曽義信といい、木曽義仲の子であったといわれます。念信は親鸞(しんらん)の法弟で、鎌倉時代の建暦2年(1212)、親鸞帰洛の際に庵を挙げて長称念仏寺と称したとされます。長称寺は室町時代の明徳2年(1493)、七世善念のとき木曽に移り、さらに安曇郡横澤村(現在の松本市梓川地区)に移ったといわれます。寛永2年(1625)には城主戸田康長により松本城下和泉町に移され、明暦2年(1656)には城主水野忠職(ただもと)により現在地である上横田町に移され、万治3年(1660)にはその寺堂が完成しました。
この銅鐘は、元禄12年(1699)鋳造、宝暦3年(1753)の改鋳で、信濃国左方惣官(さほうそうかん)鋳物師(いもじ)田中伝衛門吉隆の作です。口径75.8㎝、高さ131.8㎝を計ります。戦時中の金属供出の際、寺院からは銅鐘をはじめ金属製品が供出されましたが、この銅鐘はそれを免れました。
江戸時代の松本城下の鋳物師として田中家と浜家が有名ですが、両家とも先祖は河内国(現在の大阪府)丹南郡の鋳物師で、代々勅許御鋳物師信濃国左方惣官を称していました。田中家は、元和8年(1622)から松本城下飯田町鍋屋小路で鋳物業を営んでおり、元禄年間(1688~1704)の吉重、元文・宝暦年間(1736~1764)の吉隆の頃に最も繁栄しました。田中家は長称寺のほか、極楽寺・念来寺・宝永寺の銅鐘も鋳造しています。


