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県指定等文化財

筑摩神社拝殿

つかまじんじゃはいでん

  • 拝殿
  • 拝殿
  • 本殿
  • 筑摩神社
  • 本殿外観
  • 本殿軒裏と組物

データ

名称
筑摩神社拝殿
指定等区分
県宝
指定年月日
昭和41年1月27日
種別
建造物
所在地
筑摩2-6
所有者
筑摩神社
時代区分
江戸時代
付加事項
  

所属カテゴリ

テーマ
松本城とその時代
地域
松本南部
分野
建造物

地図

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解説

三間社流造の筑摩八幡社

  筑摩(つかま)神社は古来からこの地に鎮座し、筑摩八幡宮、あるいは国府八幡宮の名でよばれてきました。八幡宮の社号でよばれるようになってからは、祭神は中央の誉田別尊(ほむたわけのみこと  応神天皇)、左方の気長足姫(おきながたらしひめのみこと  神功皇后)、右方の多紀理姫命(たぎりひめのみこと)・狭霧姫命(さぎりひめのみこと)・多岐津姫命(たぎつひめのみこと)の三神であったようです。中世になって小笠原氏が筑摩郡に入ると、源氏の守護神として小笠原氏の厚い信仰を受けました。
  筑摩神社は本殿を中心に玉垣がめぐらされ、前方(南)には桃山時代建造の拝殿をもち、宝蔵、額殿、舞殿、かつて筑摩神社の別当寺(神社に付属しておかれた寺院)であった安養寺の鐘楼、神門、鳥居など一連の建造物があります。社域は東西に100間(180m)、南北に66間(119m)といわれ、その大門は遠く南に伸び、筑摩部落の中を走っています。
  中世に国府八幡とよばれたのは、平安時代の初めに松本に信濃の国府がおかれたからで、国府の所在地に近いところからその名が生じたものです。別当安養寺の銅鐘(筑摩神社銅鐘  松本市指定重要文化財)の銘文にもその記名があります。
  拝殿が造立されたのは、棟札から慶長15年(1610)のことです。三間三間、入母屋造(いりもやづくり)で、屋根は柿葺(こけらぶき)です。床の下に低い基壇を設け、石の土台を廻しています。柱は大面取りの角柱で、檜(ひのき)材です。棟の鬼板には、水野家(松本七万石)の定紋花沢潟(はなおもだか)がつけられていますが、これは水野氏の時代に修理されたことを物語っています。このほかにも後補の箇所が各所に見られます。昭和10年(1935)には解体修理がおこなわれましたが、正面の一間の向拝(こうはい)はこのとき他所から移して新しく取り付けたものです。
  この拝殿は桃山時代のものですが、拳鼻(こぶしばな)の彫り、実肘木(さねひじき)の繰り型、面取りの大きな角柱、蟇股(かえるまた)などによくその特徴が見られます。各所に後世の改造の箇所がありますが、全体的に見て、屋根の勾配もゆるく形のよい拝殿です。
  本殿は松本小笠原中興の英主といわれる政康が永享11年(1439)に建築・寄進したものです。その後数回の補修がありましたが、室町時代の手法を各所に残しています。

  国の重要文化財に指定されている本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、当地方の神社建築の中では最大です。軒は二重の繁垂木(しげだるき)、屋根は緩い曲線の檜皮葺(ひわだぶき)です。正面の階段は四段で、登り勾欄(こうらん)があります。階段を上ると勾欄は左右に伸び、北部の脇障子で止まっています。
  室町時代の様式が顕著なものとして向拝・妻飾りの斗栱(ときょう)及び蝦虹梁(えびこうりょう)、登り勾欄の擬宝珠(ぎぼし)の形態などを挙げることができ、後世の補修による部分も、各時代の特色がよく出ています。室町時代の代表的な神社建築です。

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